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ぶらり群馬

自害沢川という物騒な川の由来が気になったので調べてみたら平常将や羽衣伝説にもつながっていた

2020年9月19日

自害沢川とは

高渋バイパスをしばらく行くとみえる、自害沢川の看板。

なんと由来がありそうな川の名前!

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自害沢川の由来を調べてみる

調べると、さかのぼること平安時代中期 平常将の名前がでてきたました。

平常将は1079年頃に願掛けして自身の子供である相満を授かりました。

平常将は1010年に生誕ということを考えるとかなり高齢で授かった子供ですね。

その相満を修行に出した寺で、相満が失踪してしまいます。

平常将は修行に出した寺が隠したと考え寺を焼き払ってしまいました。

▼一級河川 自害沢川

▼緑生い茂る、整備された川ですね

焼きはらったのち、常将の前に天狗が現れ息子をさらったことを伝えます。

常将は勘違いの上、寺を焼き払ってしまったのです。

それを悔いた常将は率いる者たちと共に自害、

常将の妻は罪滅ぼしのために寺を再建し、常将を祀ったのちに自害したとのこと。

ネットの情報ベースではそういう結論しかありませんでした本当はどうなんでしょう。

常将はその官位についても批判的な記事もありました。

 伝承によれば、常将はその後「上総介」に任じられたとされるが、彼が上総介または上総権介に就任した公式な記録はない。

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