自害沢川という物騒な川の由来が気になったので調べてみたら平常将や羽衣伝説にもつながっていた

自害沢川とは

高渋バイパスをしばらく行くとみえる、自害沢川の看板。

なんと由来がありそうな川の名前!

自害沢川の由来を調べてみる

調べると、さかのぼること平安時代中期 平常将の名前がでてきたました。

平常将は1079年頃に願掛けして自身の子供である相満を授かりました。

平常将は1010年に生誕ということを考えるとかなり高齢で授かった子供ですね。

その相満を修行に出した寺で、相満が失踪してしまいます。

平常将は修行に出した寺が隠したと考え寺を焼き払ってしまいました。

▼一級河川 自害沢川

▼緑生い茂る、整備された川ですね

焼きはらったのち、常将の前に天狗が現れ息子をさらったことを伝えます。

常将は勘違いの上、寺を焼き払ってしまったのです。

それを悔いた常将は率いる者たちと共に自害、

常将の妻は罪滅ぼしのために寺を再建し、常将を祀ったのちに自害したとのこと。

ネットの情報ベースではそういう結論しかありませんでした本当はどうなんでしょう。

常将はその官位についても批判的な記事もありました。

 伝承によれば、常将はその後「上総介」に任じられたとされるが、彼が上総介または上総権介に就任した公式な記録はない。

常将は頼信の子・源頼義に従って、永承6(1051)年から始まった前九年の役で軍功を立てたといわれ、その功績によって従四位下を与えられ、千葉に住んで千葉介を名乗ったといわれるが、鎮守府将軍・頼義よりも上位になることはありえず、官位官職がしっかりと定められていたこの当時、従四位下といえば「近衛中将」「修理大夫」が官位相当となり、東国の一豪族の子が叙されることはありえない。前九年の役の様子を著した『陸奥話記』にも常将の記述は出てこないため、従軍の確認はできない。

引用元:千葉の介の歴代

地方の地方官性では介(守)を頂点として鎮守府、按察使とヒエラルキーがあります

【地方管制ヒエラルキー】

  1. 千葉介
  2. 鎮守府
  3. 按察使(あんさつし)
  4. 大宰府
  5. 右京職
  6. 左京職

戦争を率いたマネージャー(源頼義)より上位職に就いたことになります。

確かにあまり考えにくいですし、記録が残っていないのも微妙なところ。

因みに上総介と言えば織田信長を思い浮かべますが、これは朝廷から正式に受けたものではなく

百官名(自称)であったようです。

一方で以下のような情報も

千葉氏の祖である平常将の代に、池田の池に天女が降り、羽衣を松に掛けて水浴みしているところを見染められて常将と夫婦になった。常将はこの話を聞いた帝から千葉の姓を与えられた。この時の天女は「千葉氏の守護神であった妙見菩薩の変化したもの」といわれた。

引用元:羽衣の松 (千葉市)

天人は天子(天皇)に使える人を暗に指しているとも考えられ、

そうであれば、千葉介の役職についていたとしてもおかしくないですね。

天狗じゃ、天狗の仕業じゃ

ただ、天狗にさらわれたっていうのはどうなんだろう。

伝説に対して疑問を抱くのはナンセンスだと思うんだけど

天狗=天災≒アンコントローラブルな事

って考えていくと何か政治的なことがあったんだろうなって勝手に推測。

でも千葉介がなぜ群馬にて没した伝説があるのか……

地名は史実に基づく。

この川に悲しい過去があったのだろうなと引き続き調べてみたいな。

参考

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